父はゆっくりと消えゆく

父には62歳を過ぎた頃から、既に認知症の兆候が見られていました。
もともと短気で食い意地が張っていて、基本的にメチャ自分勝手なオッサンであったので、少しずつ迫ってきた変異は病気なのか単なる老化なのか……当時はさっぱり分からなかったのです。
本人も初めての60代生活、母も60代の配偶者を持つ(そして自分も60代を生きる)初めての経験、私も60代の両親を持つ生活は初めて。
父の言動に関する違和感が少しずつ濃くなっては行っても、元々私はパパっ子であったので比較的呑気に構えていたのです。
大好きだったゴルフを「何が面白いのかわからなくなった」とスパッと止めてからというもの、これはさすがにアレだな!という言動が増えて行きました。
同じ事を何度も聞いてくる・しょっちゅう食事をしたがる・意味不明な物(文房具、工具、石ころ、紙製品)を異常な執念で収集する・きちんと入浴はするのに毎日同じ服を着続けようとする……
おかしいな?と思ったその後に朗らかに話していたり、かと思えば激昂していたり、信じられないスピードでメンタルが落ち着いていたりして。
車の運転を大好きだった父ですが、徹底抗戦を覚悟で免許を返上させたら拍子抜けするほどアッサリと受け入れ、以降一度も「運転したい」と言うことはなかったです。どんな気持ちだったんだろうな、あの時。
認知症という病気は少しずつ少しずつ進みます。
まだ大丈夫、まだ正気の時間の方が多いのではないだろうか。ムカつくけど、昨日はちゃんと話が出来たな。そうやっていい方に考えようとすること自体が自分の不安の顕れだったのだな…… これは今になって分かることです。渦中にいると、自分の状態すらちょっと見失っちゃうんですよね。
当然本人の辛さも分かってあげられないし、こっちの辛さも伝わらない。どんどん父を思い遣れなくなる。そして好きだった父がどんどん別人になる。認知症の切ないところです。
認知症の症状は人それぞれだと思いますが、ウチの場合の大きな局面としては「善悪の区別がつかなくなる」というものがありました。
家の庭にどんどんゴミを捨てる事に始まり、何故かわざわざ屋外でトイレ小をしたがるようになり、デイサービスの備品や近所のお宅の庭石を失敬して来た(庭石の件は警察に通報された)り、母の買い物について行ってアイスクリームをポケットに入れて出て来た(普通に万引、これも通報された)りとグラデーション的にワル度が増して行ったのです。
デイサービスやショートステイの利用もさせてもらいつつ頑張ってきた母と私でしたが、徘徊の予兆が出て来て仕事と父の監視(もはや監視だった)の両立は二人がかりでも大変になったので、要介護2に上がったタイミングで施設のお世話になることに決めました。父、もうすぐ74歳になるところです。
平たく言えば、もう父と暮らすことはこの先ありません。まだ元気で生きているのに。まだ何も親孝行らしきことをしていないのに。
歯を喰い縛って介護を続ければ、父と一緒に暮らせます。
でも仕事しないと生きて行けないし、私は自分の仕事を好きです。
そして「歯を喰い縛らないと一緒に暮らせない家族」ってなんだ?そんなの父は望んでるのかな?と思った時、もうこれはプロに委ねてしまおう!と決めました。
正確には「母が壊れる前に救いたかった」という気分の方が強めでしたが…
実の父が認知症のせいで別人になるのもキツいですが、一度は惚れて添い遂げるはずの伴侶がそうなるというのは多分哀しみの種類が別です。
加えて日常に溢れる不条理と、母自らの老い。このまま母が押し潰されてはいけない!受け入れて下さる施設が見つかったという報せに、飛びつくしかありませんでした。
生活の中から父の姿は消えたけど、離れてみてやっと少しずつ発症する前の楽しい思い出が呼び起こされて来ました。会いたくなったら、まだ会える!これで良かったと思ってます。